恋のクラウチングスタートに見た ”ノンフィクション” の世界
Shall We Dance?
2022年 6月3日 21時 ハロー!プロジェクトの新グループOCHA NORMAのデビューシングル「恋のクラウチングスタート」のMVが公開されました。
1月から3月に放送していたドラマ「真夜中にハロー!」のオープニング主題歌に始まり、リリースイベントや対バンイベント、アイドルフェス、武道館公演のオープニングアクトとしても数多く披露し、発売以前から馴染み深かった楽曲だと思います。
そんな親しみのある楽曲が、MVとして形となったのを見て、改めて感動を覚えました。
ですが、そのMVをきっかけに、これまで楽曲を聴く中では感じなかった想いが溢れて来ました。
それは
「不可逆性を感じ取った瞬間に起こる、フィクションを凌駕したノンフィクションのメッセージ」
です。
…全く意味がわからないと思います。なので具体的に歌詞やMVを紐解きながら綴り、最終的には「恋のクラウチングスタートとは○○な曲だ!」という結論に持っていきたいと思います。
多くの人が抱いたであろう「明るい曲なのになんだか泣けてくる」という感想を、言語化するブログになればいいなと思います。
- Shall We Dance?
- MVを見る前の僕と、楽曲への一般的な印象(想像)
- MVを見て起こったこと
- 歌詞における”OCHA NORMA’s ノンフィクション” ポイント
- 解けた疑問:なぜ真夜中にハロー!の主題歌が恋クラなのか
- 全然関係ないけどYoutubeのMVのコメント欄でめっちゃいいね付いた
※基本的に主観と妄想虚言ですのでご了承ください
楽曲の意図はクリエイターにしかわかりません。
また個人的な考えでは、楽曲は歌う瞬間は歌い手の物であっても、次の瞬間には聴き手の物になると思っています。なので的外れな批判でさえなければ、どのように解釈して楽しんでも良いと思います。
そのためこのブログは「ハッチーが聴いて考えて導いた解釈の発表」に過ぎず、これを強要する意図はありません。
に共感する所があればもちろん嬉しいですし、共感できずとも「そういう考えをする人もいるんだな」程度に思っていただけると幸いです!
(↓OCHA NORMAの常滑リリイベのブログです、ぜひ!)
MVを見る前の僕と、楽曲への一般的な印象(想像)
「恋のクラウチングスタート」を聴いたあなた、友人に「これ、どんな曲?」と聞かれたら何と答えるでしょうか?
きっと「恋愛の曲だよ」という意見が大半だと思います。
間違ってませんし、恋愛の話をしてるので「正解」と断言してもいいとでしょう。
僕もMVを見る以前は、この一般的な印象と同じでした。
(良い悪い・好き嫌いの話ではないです、僕はこの曲がずっと好きです)
「恋に恋する」かのように恋愛の楽しさを想像してテンションが上がり、そんな自分の舞い上がった姿が恥ずかしかったり。曲調の明るさもあり、青春や若々しさを感じました。
また「日々粛々淡々」「リベンジ消費」「リモートデート」など、ご時世を感じるようなワードが盛り込まれている所も面白いですね。
ドラマで聴いたときから、すごく好きな曲でした。(好き度100%)
ですがMVを契機に、さらなる楽曲解釈が生まれ、心が震えました。(好き度1000%)
MVを見て起こったこと
結論から言うと、MVを見たときに
「不可逆性を感じ取った瞬間に起こる、フィクションを凌駕したノンフィクションのメッセージ」
に気づき、感動したということです。(わざとかっこつけて難しく言ってます)
より詳しく言うと
「MVを見たことにより、この曲が『恋愛』という物語の歌であると同時に、実際にこれまでのOCHA NORMAの軌跡とこれから歩む未来のことを語る歌であることに気がつき、過去の苦労やようやく掴んだデビューへの想いを改めて知り、それに心が震えた」
ということです。
※物語=フィクション
⇒恋クラの歌う、若々しさ溢れる恋愛の歌
※実際の出来事、歴史、メタ的な視点=ノンフィクション
⇒恋クラがOCHA NORMAの軌跡と未来を語る不可逆的な歌
ノンフィクションに気付くきっかけとなったMVのあるシーン
MVでの 3分6秒から、石栗奏美ちゃんの「この日のため 可愛い仕草 練習してた」と共に、リーダー斉藤円香ちゃんが「HELLO!」の扉を開けるシーン。
一般的な印象から考えると
「今日はついにあの人とデートの日!恋を実らせるためにもこの日のために彼を落とす仕草を練習してきたのよ」
このように感じるのではないでしょうか。
ですが僕が感じたのは全くの別物。
このシーンに至るまでに流れたグループ結成までの映像、「HELLO!」の扉、リーダーの存在。これらを踏まえて聴き、「この日」が「OCHA NORMAのメジャーデビューの日」に感じられ、
「憧れへの扉をくぐりメジャーデビューへと歩む」
というシーンに感じました。
つまり
「この日のため 可愛い仕草 練習してた」
⇒「この扉をくぐって輝かしい世界を歩み始めるこの日(メジャーデビュー)のために、頑張ってきたんだ!」
という解釈へと至ったのです。
まさに「真夜中にハロー!」の「扉をくぐって新たな世界を開く」世界観そのもの。そしてOCHA NORMAの軌跡があるからこそ、この曲でデビューするからこそ、歌うことができた曲であり、曲のメッセージと軌跡のシンクロに感動しました。
以上のことから、
「『恋愛ソング』というフィクションだった恋のクラウチングスタートが、OCHA NORMAだからこそ歌うことができる不可逆性を感じたことによって、OCHA NORMAの実際の過去と未来を歌うノンフィクションへと飛躍した」
といったことをMVのワンシーンをきっかけに体験しました。
歌詞における”OCHA NORMA’s ノンフィクション” ポイント
では実際、歌詞のどの部分にOCHA NORMAの軌跡・ノンフィクションを感じたのかをいくつか例に挙げて説明します。
➀1番Aメロ
「恋愛したくたってマジ出会いが無い(日々粛々淡々)でもずっとこのチャンスを狙っていたんだよ(そろそろいい頃な)」
⇒ハロプロのアイドルとしてデビューしたいけど、なかなかその機会が訪れない。でもようやく私(たち)にもデビューが巡ってきた!
➁サビ
「ついに射した恋のスポットライト」
⇒いよいよ私(たち)のことを照らしてくれた!(メジャーデビュー)
➂落ちサビ
「この日のため 可愛い仕草 練習してた」
⇒デビューする今日のために、私(たち)たくさん頑張ってきたんだ!
(「デビューする」は今ならでは。しかしこの部分は「今日のライブのために」のような解釈もできる。そのため、いずれ単独ライブが実現した日には「今日の特別なライブのために」感が増して、より感動できるでしょう)
以上のような歌詞にMVのヒストリー映像がリンクして、不可逆性を感じました。ここでの「不可逆性」とは、個人の能力・ビジュアルではなく、彼女たちが今日までどんな日々を過ごしてきたか、という「バックグラウンド」のことです。
この不可逆性を感じたことで「恋愛ソング」というフィクションから「OCHA NORMAの軌跡」というノンフィクションへと飛躍しました。
この「フィクション」から「ノンフィクション」への飛躍が発生するか否かには、ポイントがあると思います。
それは、「歌詞が抽象的かどうか」です。
具体的な歌詞と抽象的な歌詞のもたらす印象の違い
ではまず「具体的な歌詞」と「抽象的な歌詞」について説明します。
(別にそういう語があるわけではなく、僕個人が勝手に言って、定義付けしてます)
具体的な歌詞
○「具体的な歌詞」とは
固有名詞が登場する、詳しく情景や心情が描かれている、登場人物の性別・体格・性格などが読み取れる…etc
例:純情cm(つばきファクトリー)、眼鏡の男の子、こんなハズジャナカッター!(BEYOOOOONDS)、愛されルート A or B?(アンジュルム)、シャボン玉(モーニング娘。)
○具体的だとどうなる?
・楽曲を、映画を見る・小説を読むかのように、お話や物語つまりフィクションとして楽しむことができる(自分の生活で起こらないからこそ楽しい、非日常体験)
・歌い手に対して「曲に入り込む」や「憑依する」と表現されるように、ある種の「演技」が求められる。
・具体的だからこそ、全く共感しない人もいる(フィクションとして楽しむ)
・具体的だからこそ聴き手とリンクしたときに深く感情移入がしやすい
(例:自分と同じ振られ方をしている恋愛ソングを聴いて号泣する)
・フィクションのみ or ノンフィクションのみ、と片方限りになりがち(絶対ではない)
例:純情cm:フィクション、シャボン玉:ノンフィクション
抽象的な歌詞
○「抽象的な歌詞」とは
固有名詞が出てこない、感情や情景に深入りしていない、登場人物が詳細に描かれない…etc
例:極端に抽象的な曲はあんまりないと思う(過度に抽象的=個性が無い となるため)
適度に抽象的:恋のクラウチングスタート(OCHA NORMA)、伸びしろ~Beyond the World~(BEYOOOOONDS)
○抽象的だとどうなる?
・多くの人から共感を得やすい、しかし広く浅くな感じに
・曲のフィクション性が薄いため、ノンフィクションへと飛躍しやすくなる
”適度” に抽象的な恋のクラウチングスタート
楽曲では、誰とどんな恋をして何があったかというような恋愛の内容は深く描かれていませんが、恋愛の楽しい部分が描かれていて「恋愛ソング」であることは十分にわかります。
ですが、楽曲をより抽象的に捉えることで、OCHA NORMAのというグループ自体の気持ちを感じることが可能です。
その場合の「恋愛」=「一般的な人対人のそれ」というより、何かしらの強い気持ちを抱いていることを示す意味があると思います。
つまり抽象化によってノンフィクションとなった恋のクラウチングスタートにおける「恋愛」の意味とは
「OCHA NORMAがメジャーデビュー(または憧れの舞台)へ強い想いを抱くこと」
と捉えることも不可能ではないと思います。
僕が曲を聴き、MVを見て、考えた結果導きだしたものは
恋のクラウチングスタートとは、「恋愛を歌った楽曲」であると同時に「OCHA NORMAのメジャーデビューへの強い想いを歌っている楽曲」である
という結論でした。
解けた疑問:なぜ真夜中にハロー!の主題歌が恋クラなのか
真夜中にハロー!は
「悩みを抱える登場人物の前に扉が現れ、それをくぐると悩みにリンクし、解決へと導く楽曲に出会い、救われる」
という構成の下で話が進んでいくため、登場する楽曲には「共感できるかどうか」が絶対条件です。
しかし僕には、真夜中にハロー!は「恋愛ドラマ」ではないのに、なぜ「恋のクラウチングスタート」が主題歌なのか?という違和感がありました。
つまり「肝心の主題歌の内容がドラマと関係がないじゃないか」と感じつつも、新グループだしこの機会にプッシュしよう、という意図かな・・・と納得していました。
ですが、本記事のテーマの一つである「抽象的な歌詞」によって違和感が解消されたことで、恋のクラウチングスタートがなるべくして主題歌に選ばれたのだと理解できました。
恋のクラウチングスタートを抽象的に捉えたときに見える
「自分自身で扉を開いて、気持ちを全て解放して、新たに走り出していくんだ!」
というメッセージが、真夜中にハロー!の全体的なドラマ観にピッタリだと思います。
順番として、真夜中にハロー!の構想と恋のクラウチングスタートのどちらが先に作られたかはわかりませんが、関連性が非常に深く、どちらか一方が欠けたら成立できないほどにシンクロしていると感じます。
「恋のクラウチングスタート」のMV監督と、ドラマ「真夜中にハロー!」の監督が同じ原廣利さんというのも、初めから構想にあったものではないかなと。
ブログを書く内に、OCHA NORMAのデビューに関わった人や真夜中にハロー!の企画制作の方、作詞・作曲の星部ショウ先生に、どこまでを想定して作っていったのかをぜひ伺ってみたいと強く感じました。連絡待ってます。
全然関係ないけどYoutubeのMVのコメント欄でめっちゃいいね付いた
MVを見たことによって、ようやく色んなことの辻褄が合っていきました。ですがなぜ僕は、真夜中にハロー!最終話のラストシーンでOCHA NORMAが登場した時に気付かなかったのかと・・・ もぉ~私ったら鈍感っ!
多くの人が楽しくて明るい曲調の恋のクラウチングスタートを聴いて、なんだか泣けてしまうのは、歌詞が適度に抽象的だからこそOCHA NORMAの紡いできたストーリーと曲がリンクし、そのために感動して涙を流すのだと思いました。
(もちろんメロディ的なところもあると思います!ただその辺の知識が無いからここで触れていないだけ。ハッケン音楽塾を待たれよ)
メジャーデビューという扉を開き、憧れた世界へと駆けだしていくOCHA NORMAが、僕たちにどんな景色を見せてくれるのか。
とっても楽しみですね!
追記:このブログに書かなかったこと
具体的・抽象的な歌詞の他の例、そしてどのような過程を経て楽曲が抽象化し、共感へと繋がるのか、という例として、こんなハズジャナカッター!と涙のヒロイン降板劇を挙げて書くつもりでした。
また、具体的な歌詞のこんなハズジャナカッター!がなぜ真夜中にハロー!に登場できたのか?という話も。
ですが、話が長くなるだけでなく、余談にしてはボリュームがあり、一番書きたかったことがぼやけてしまうために、割愛しました…
そのため
・こんなハズジャナカッター!の具体性と真夜中にハロー!に登場できた理由
・勝手にスピンオフ、真夜中にハロー!「涙のヒロイン降板劇編」(解説付き)
という記事を後日書きたいと思います。
この記事を最後まで読んだコアな方と、内容を理解・共感できたレアな方はぜひそちらも読んでいただけると嬉しいです!